空の飛び方

第8章:冷えた熱

太一は、会社を抜け出し、心配に駆られ真理の家へ急いだ。だが、彼女の母親の話によれば、真理はすでに田舎の実家へ帰っていた。なにか大きな問題があったに違いない。太一の心は不安で満ち溢れていた。

翌日、太一は以前の合コンにいた真理の同僚であるの女の子から、真理の過去と現状を聞く機会を得た。彼女からの話によると、真理は以前、会社の部長と不倫関係にあったらしい。それは太一との関係が始まる1年前の話だったが、太一は心の中で大きな衝撃を受けた。

真理は太一との関係を始めてからは、その部長との関係を完全に断ち切っていた。しかし、不運にも仕事上、部長と一緒にプロジェクトに参加することになったことを機に、再び部長からの執拗なアプローチが始まった。太一との幸せな日々とは裏腹に、部長からの圧力に真理は日々苦悩していた。

ある日、真理は仕事での大きなミスを部長にフォローして貰ったこともあり、一度だけ部長からの食事の誘いにのってしまった。真理は自身の感情を隠しながらも、太一への裏切り感と負い目に耐えていたが、部長からのアプローチと今後のプロジェクトの事を考え、その日一度だけ過ちを犯してしまった。その後、部長からのアプローチはさらに激しさを増し、真理は精神的な限界に達してしまった。

追い詰められた真理は、太一や会社、全てから逃れるように実家に帰ってしまったのだった。数日後、真理の母親から電話で話を聞いた太一は、母親の言葉の裏に何かを隠しているような雰囲気を察知し、真理を失いかねない恐怖に駆られる。

太一は一人、自問自答する。真理が直面しているこの困難を、自分はどう支えることができるのか?真理との関係をこれからどう築いていくべきなのか?彼女の苦しみを和らげるためには、どう対応するのが正しいのか?

そして、太一は決断する。真理が帰って来るのを待つのではなく、自分から彼女のもとへ行こうと。太一は心を決め、真理の実家がある田舎町へと向かう。

しかし、彼女の元へ行く途中、太一は悩んだ。真理の不可解な言動、その後の電話で感じた真理の母親の何かを隠している様な雰囲気、そして真理の同僚から聞いた衝撃の過去と現状。全てが彼の心を混乱させていた。彼女の元へ行こうという当初の決意は、徐々に霧散していった。太一自身、現在の仕事の忙しさや若さからくる安直な思いもあり、太一が想像していた、二人の未来像はひび割れていく。自然と方向を変え、自分のアパートへと向かう。突如として訪れた冷静さは、真理への感情を急速に冷ましていった。もはや彼女を追いかける勇気も、戦う力も感じられない。心の奥底で何かが変わったのだ。

帰りの電車の中で、太一は思いを巡らせた。愛することの意味、信じることの重さ、そして、一緒にいることの大切さ。彼らの関係は確かに美しかったが、それはあまりにも脆いものだった。元々は真理と部長の関係が全てを複雑にしていたが、それ以上に、自分自身の気持ちの変化が何よりも混乱を招いていた。

真理に何が起こっているのか、彼女の心の中で何が渦巻いているのか、それを理解することはもはや太一にはできなかった。彼女への信頼、彼女の笑顔、二人で過ごした時間、それらはすべて遠い記憶となりつつあった。

アパートに戻り、ふとした瞬間に真理からのLINEが届いた。彼女の言葉は、以前のように心を温かくすることはない。画面に映る文字は、かつての愛を確かめ合った言葉たちとは違い、今や虚しく感じられるだけだった。

太一は、彼女からのメッセージに返信する代わりに、スマートフォンを静かに置いた。そして、深いため息と共に、心に決着をつける。もう追いかけることはない。自分の前にある現実と向き合い、新たな日々を歩んでいこうと。

翌朝、太一の心には決意があった。真理への感情は確かに冷めていた。だが、それは新たな自由と、これからの人生を自分自身で切り開く勇気をもたらしていた。真理と部長、その複雑な関係から解放された彼は、今、自分だけの人生を生きる決意を固めていたのだ。